インタヴュー

「ダンディ・ダスト」

ハンス・シャイルル監督
インタヴュー


インタヴュアー:サラ・ティーズリー


ダンディ・ダスト」は今年ロンドンのレスビアン&ゲイ映画祭で初公開されて、トリノのレスビアン&ゲイ映画祭で公開されてから東京に来るわけですが、これまでの観客の反応はどうでしたか?

 そうなったらいいと思った通りの、素晴らしいものでした。ほんと、観客の多くはもう一度見たいと言ってくれました。そして本当に2度、あるいはそれ以上見てくれた人は皆、見るたびに変化すると言ってくれました。ですから「ダンディ・ダスト」は変幻自在の映画というわけです!「ダンディ・ダスト」のホームページがまだ出来る前からもうすでに沢山の非常に興味深いコメントをもらいました!

東京の観客からなにか特定の反応を予想していますか?

 僕は日本人を殆ど知りません。ほんと、隆夫(当映画祭のディレクター)が僕の最初の日本人の友人なんです。僕の知っている日本文化というのは、いくつかの素晴らしい映画で、塚本晋也や鈴木清順の映画からインスピレーションを受けました。私が興味津々なのは、本当に日本人はヨーロッパよりずっと沢山漫画を読むのだろうかということです。それから勿論(日本の)テクノロジーのこと、テレビコマーシャルのいたずらっぽい面白さ、明るい色の街のライトのこと、それに禅にも興味があります。

 ベルリンでは上映されませんでしたが、「ダンディ・ダスト」が東京の映画祭に招待されたことをとてもうれしく思います。というのはこのことは、「ダンディ・ダスト」が文化的境界線を越える作品で、「伝統的な」物語だけでなく、因習的な型にはまった西洋のアートシアターを覆す、あるいはひっくり返す作品であることを証明していると私には思えるからです。また、対話の日本語訳がどのように観客に伝わって理解されるか、非常に関心があります。というのも、この映画にはとても詩的なテキストの中に多くのダイク、トランスジェンダー、ドラッグキング(男装のレズビアン)のキャンプっぽさがあるので、そういったところが翻訳では本当に(そして望むべくは可笑しく)シュールになっているんじゃないかと思うからです。



      

今まで日本であなたの映画が上映されたことがありますが。もしあるなら、どこで上映されて、日本の観客からどのような反応がありましたか?

 残念ながらその場に居合わせてはいませんでしたが、僕の初期の短編映画のうち5編が去年(じゃなかったら一昨年)、「オーストリアの前衛映画 1955−97」というプログラムの一部としてイメージフォーラムで上映されました。



      

映画祭の期間東京を訪れるわけですが、東京やそこに住む人々に対して何か期待がありますか?東京にいる間、特に見たいもの、行きたいところがありますか?

 工事現場のあるところを歩いてみたいですね。変わりつつある空間。それから、新宿区のクラブ・マリリンとか他のドラッグキングやトランスジェンダーの人たちの集まるところなんか。でも多分あんまり出歩かないかもしれません。このモンスタームービー製作の後、僕は今ちょっとプライベートな人になってるんで、、、もしかしたら庭かなんかで僕と一緒にいてくれるような人と出会うかもしれないし。絵を描きたいんです。友達が自分のビデオカメラを貸してくれると言ったんですが、スケッチブックをもって行くことに決めました。いや、東京で買えばいいんだ!勿論映画祭で映画を沢山見るつもりですよ。プログラムをみると本当に素晴らしそうですね。映画監督やアーチストにも会ったり、それから突然映画のフレームに現れて「僕が次の君の映画をプロデュースするよ。どこから資金を調達したらいいか知っているんだ!」と言ってくれる人に出会ったりね!!!!



      

あなたが電子メールで書いた映画の予告編で、「ダンディ・ダスト」のことを”フェティッシュ/テクノ/パンク/複合メディア スパートシネマ”と呼んでいます。あなたのスタイル、それがどうして作り上げられたか、そしてこれからどの方向に行きたいですか?私は特にあなたが”スパートシネマ”についてどう考えているのか特に興味があるんです。

 ウン、スパートシネマというのは僕の大好きなものの一つ!ロサンゼルス出身でフォトグラファーの友人であるキャサリン・オピーがその言葉を造ったんだ。古くてゾンビ化した価値の崩解や浸食を、肉体が圧迫、抑圧、圧縮の場であることを非常にはっきりと具体的に見せることによって表現するということに意味があると思うんです。僕の受けた影響というのは、スプラッターフィルムやウィーン行動主義、ジャン・コクトー、ダイク セックスカルチャー、香港と日本のホラーアニメ、ラディカルなサイボーク・ボディーアートなどです。

 この次はというと、たとえば東京、ウィーン、リオデジャネイロで数カ国語のドラッグ(女装・男装)/ギャング/複合ジェンダー/SFポルノなんてどうかな?でも僕はこの映画と一緒に旅行して、ペンと紙と皮膚であそんで、のんびりといい休暇を取るつもりなんだ。



      

別のスタイルに関する質問です。映画監督の多くは映画を主に視覚的な媒体ととらえて、音声よりも視覚に集中するんですが、そういう監督の作品と比べると「ダンディ・ダスト」はその映画的世界を作り出すために映像と同じように音声も使っています。この、音声に対する注意は意図的なのですか?映画における音の役割をどのように理解(聴解?)していますか?

 はい、音というのはとても重要な部分です。映画の強みの一つは(感覚の協調という)共感覚な性質です映画を見に行くと、人は無防備になり、知覚が鋭くなるものです。サドマゾヒストはこれを”感覚奪取”と呼んでいます。これは例えば雑踏から離れた寺院や庭園に入ったときにも起こるものです:突然足下の砂利の音が聞こえるようになるのです。良い映画は皆こんなふうに作用するんです。(でもテレビではこの効果は得られませんがね!)たいていはこの効果は無意識なものです。「ダンディ・ダスト」ではすべてがハイパーテキストです。映像的に言えば、「ダンディ・ダスト」は超スペクタクルで、サウンド的に言えば特殊な多ジャンルの実験的ノイズ・ジャズとでもいうものです。



      

あなたはこの前のインタビューで「ダンディ・ダスト」は”セックス、ジェンダー、家族、ジャンルといった伝統的な概念を当然のこと、もはや当たり前のことと見ない人々”についての映画だと言いました。「ダンディ・ダスト」をちょっとでも見ればすぐ分かるように、流動性ということを強調して、いかにジェンダーやセクシュアリティーがアイデンティティーを形成する要因となるかという先入観を否定しています。ジェンダー、セクシュアリティー、アイデンティティーの将来についてどうお考えかもう少しお話願いますか?

 そりゃ、あらゆることがトラニーボーイ(訳者注:要するにトランスジェンダーの人で自分は男だと感じている人のこと)にとっては流動的ですよ!僕はほぼ2年間テストステロンを注射しているんですが、これをトランスジェンダー化のために使用しようと自分で決めたことが、この映画(製作に5年半)もトランスジェンダー化されることにつながりました。多層にわたる製作技術によってそれは可能になったんですけど。現代の急激に変容する時代に、(言葉に基づいた)言語というものは絶望的なほど制限されてしまいます。

 ジェンダ ー、セクシュアリティー、あるいはアイデンティティー(!)における流動性というものはこれまで、変態、売女、精神分裂というように、病理学的、あるいは軽蔑的に述べられてきました。(レズビアン&ゲイという枠を確実に越えた)クィアーカルチャーはこういったことすべてを揺るがしたのです。そしてその幅広く、世界的なコミュニティーの人々は、(訳者注:レズビアンならレズビアン、ゲイならゲイ、トランスジェンダーならトランスジェンダーといった)自分たちの特定のコンテクストに合わせるために、古くからある行動の形態を自分達流にアレンジしたりコラージュしたりした後、充実した生活を送っているのです(安楽とは言いませんが!!)。

 それに加えて新しいテクノロジーというものがあります。僕はバイオ・テクノ、自己(再)生産するハッピーな変態としてのサイボーグに非常に関心があるのです。それは人間がサイボーグになるというのではなく、あるコンテキストで生きている存在としてのサイボーグです。それは人間/機械/植物/石/気体/動物の複合体です。僕はハリウッド映画の人間的性質だけをもつサイボーグ観が大嫌いなんです。

こういったカテゴリーを積極的に粉砕しようとしている者として、このプロセスが実際どのようになされるのか、個人的な逸話がありますか?

 ウ〜ン、毎日が新しい経験の衝撃ですよ!僕は二回目の思春期を迎えているとだけ言っておきましょう。まるで10歳、14歳、16歳になったような感じです。自分の人生の40年間を女として生き、ここ約2年を男として生きてきています(手術は行っていなし、行おうとも思わない)。これはトランスジェンダーあるいは他の点でクィアな友人がいなかったら不可能でした。変化、遊び、そして芸術(!)には驚くべき寛容性と容認性があります。芸術がなかったら僕は今どうなっていたか分かりません。少なくても精神的に/心理的に、死んでいることでしょう!



      

あなたは映画監督としてだけではなくパフォーミングアーティストとしても知られています。あなたにとって映画というものは別個の媒体なんですか、それとも映画というのはあなたが関わっているより大きなプロジェクトの一部なんでしょうか?

 後者です。僕は異なるメディアで自分を表現するのが好きなのです。デッサンしたり、絵を描いたり、物を書いたりもします。ウィーンでは以前実験的な音楽グループのメンバーだったこともあります。映画はこういった物すべてにかかわります。僕の興味の中心は常に、抽象的な身体(body)と、そして具体的な肉体です。しかし僕は映画のボデ(構造)、例えばセルロイド(映画フィルム)の粒子、劇場の中を通る踊るような光線、映写機のボディー(本体)をもこの概念に含めます。だからテクノロジーとボディーはちょうど人生と芸 術のように絡み合っているのです!



      

「ダンディ・ダスト」は次にどこで上映されますか?

 6月13日にニューヨークのレスビアン&ゲイ映画祭で、それから6月のその後サンフランシスコ国際レスビアン&ゲイ映画祭で上映されます。8月14日からはロンドンのラックス・シネマで1週間上映され、その後多分ロンドンやイギリスの他のレパートリー映画館で上映されるでしょう。秋にはロンドンのトランスジェンダー映画祭とMIXニューヨークで上映されます。その次の大きなイベントとしては11月末に開催される「アイデンティティーズ」という、ウィーンのいろいろなコンセプトをもったクィア映画祭があります。来年のミックスブラジルに是非行きたいと望んでいます!!!



      

More articles on Dandy Dust in the online magazine 'Anon...'
http://www.phreak.co.uk/anon/eager/dandy.html

<< HOME | Programs 98 | List>>

(C) Tokyo International L&G Film&Video Festival