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ファザーレス−父なき時代−
村石雅也インタヴュー


インタビュアー:北条貴志
まずこの映画の出発点についてお伺いしたいのですが、これは日本映画学校の卒業制作として撮影されたわけですけれど、なぜこの題材を選んだのですか?
 チームの話から言うと、まず他に題材がなかったんですね。みんな考えて、いろいろ探していたんですけれど、なかなか意見が合わなくって、チームそのものが分裂状態になっていたんですよ。

 その頃、僕は学校に行かずに、家で自傷行為をしたりですね、上野で遊んでいたりと、まぁ非常にだらしないというか、学生らしくない、いい加減な生活をしていたんですよ。卒業制作なんていいや、と思って。自分になにもやれることはなにもない、映画に対しても希望を失っていたんですよ。

 そんな時にですね、学校の事情を知って、自分にやれることってなんだろうって考えた時に、自分を表現する以外にない、と思ったんですよ。だから、いろいろ吟味したうえで、というよりも、もう本当に自分のできることはこれしかない、と思って、企画を出したら、それが通っちゃたんですね。

そのグループというのは、同じ学年の演出科コースの人たち、というかんじですか?どういう形で卒業制作を作るんですか?
 ゼミですね。演出科ドキュメンタリーゼミというのがあって、そのなかの一人が僕だったんですよ。

じゃあ、その企画で行こう、となった時、他のスタッフの反応はどうだったんですか?
 実質的にチームというのは、3人だったんですよ。僕と演出の2人で、一人は「やりましょう」、もう一人は「あぁ、どうしようかな」というかんじで、クランクイン直前まで煮え切らない状態で、本当にこの企画でいいのか、というのはありました。

なんで演出家が2人いたんですか?
 それは性格の問題ですね。卒業制作はみんな監督をやりたがるんですよ。自分の作品を撮りたいと。まぁ、この2人は非常に自己主張が強い人で、「俺が、俺が」と自分で監督をやりたいと。僕はどちらかというと、「いいですよ。じゃあどうぞ」という性格なんで、まぁ形として2人が共同監督、僕が企画・主演というようにやりました。ただ、映画制作中は3人公平、対等な立場なので、3人それぞれが企画を練り、演出を考えたので、肩書きの方は無視していただきたいと思います。

今回、「家族」を扱うことになったわけですけれど、家族の方で簡単に承諾を得られたんですか?
 はっきり言って簡単でした。映画の内容をよくわかっていなかったからだと思うんですけどね。卒業制作で、自分の過去を清算するような、自分の家族をまとめて整理するようなものを撮りたい、と言ったら、「いいよ」と。「やりたいならやりな」というかんじだったんですね。まさか、ここまでプライバシーを暴露されるとは思っていなかったわけですよ。簡単なホームビデオみたいなものを想像していたのかもしれませんね。

例えば、その段階でゲイのことや、セックスのこととかを親に話したりしたんですか?
 いや、話してなかったです。

それはどういう過程でわかっていったんですか?
 映画のなかでカミングアウトするシーンがありますよね。あの時に言うのが初めてです。

それはリハーサルもなんもなしで、ぶっつけ本番で。
 そうです。

山形ドキュメンタリー映画祭の時に来日した、アメリカの映画作家フレデリック・ワイズマンが、「ドキュメンタリー映画の一番の難しさは、カメラの前で人間がはたしてどれだけ正直に自分自身をさらけだせるか、ということだ」と言ってましたが、村石さんは今回、カメラの前でどれだけ正直に自分自身をさらけだせたと思いますか?
 まぁ、半分半分じゃないですか?カメラがそこにあると、その裏に何百人にもの人が観るということを意識してしまいますから。それを意識するな、ということのほうが無理なんですよ。

どうしても演じてしまう部分があると。
 どうしても演じてしまう部分がありますし、言葉を選んでしまったり、言いたい事もカメラの前では控えておこう、というのはもちろんありました。ドキュメンタリーやってる人はみんなあると思いますよ。

まぁ、それがドキュメンタリー映画の持つ難しさかもしれませんね。
 村石さんはこの映画をどういうふうに捉えていますか?自分自身のことを赤裸々にさらけ出したドキュメンタリーか、それともフィクションの部分が入ったものなのか。
 自分自身、完全なドキュメンタリーとして捉えています。監督の茂野(祥弥)が構成をやったんですけど、演出的にストーリー性を持たせようとは意識してました。まぁ、それが成功していたかどうかは、僕にはわからないのですが。それぞれのシーンに関しては、完璧にドキュメンタリーとして捉えています。

カメラのことなんですけど、映画のなかで母親が「なんだいこんなとこまで撮るのかい。いやらしいねぇ」というように言うシーンがあるんですけれど、このように台詞として、カメラの存在を意識はさせるのですが、映画そのものとしてはカメラの存在を意識させない、自然なかんじになっているのが素晴しいと思ったのですが。
 あのお母さんの所に行って、カメラを「いやらしい」というのは、あれは正直な言葉なわけですよ。母親は度々言いますよね、カメラに向かって「いいかげんしてくれ」と。ああいう正直さが出てきたというのは、結構成功だったと思うんですよね。最初はとりあえずカメラの前で、まともな会話をしようとするんですけど、段々煩わしいカメラのことが母親の口から出てきたりして、それが本当のドキュメンタリーかな、と思いました。

この映画のなかで面白いなと思ったのは、父親と母親の関係が対照的な点ですよね。
 対照的でしたか?

対照的なかんじじゃないですか?例えばセックスの話などを持ちかけても、母親は息子に対して理解を示したけど、義理と実の父親はどこかコミュニケーションを拒む、というか、最後は殴るシーンもありますよね。そうしたコントラストが面白いなと思ったんですけど。
 僕の方でセックスの話なんかは持ちかけにくかったし、何年も会ってなかった実の父にそういう話をするのはあまりにも唐突だと思ったんで言いませんでした。ただ、僕は思ったんですけど、殴るというのは、そんな憎しみとかじゃないんですよ。お互い遠慮しない関係になりたかった、というか。実父自身が負い目を感じてて、自分が過去に家族の者に悪いことをして、それが遠慮しちゃう関係だったんじゃないかと。だから、ぶん殴るって、一種のスキンシップじゃないですか。それで正直な関係になれるんじゃないかというのがあって。暴力的、と言われると、ちょっと心外かな?というのがありますね。

僕はあのシーンを観て、ある種の「清算」みたいなことをしたかったのかな、と思ったんですけどね。
 それはもちろんありました。

映画の冒頭で身体を傷つけるシーンというのがありましたね。なぜ身体を傷つけたんですか?一種の自己嫌悪なんですか?
 そんなこと自分で言えると思います?

僕は言えると思いますよ。じゃあちょっと変えましょう。なんで、あのシーンを挿入したんですか?例えば、自分の全ての行動を映像として捉えるわけじゃないでしょ?ある程度選んで出している。だから、なぜそのシーンを出したのか、ということをお伺いしたいのですが。
 はぁ、なるほど。自分の性癖というか、人に言えない部分というのを意識しますよね。こんなことやってなんなんだ、俺は変態なんじゃないか、という部分に、自分のなかにこだわりがありますよね。そのこだわりに焦点を向けた、と言ったらいいでしょうかね。

撮影にはどれだけの日数がかかったんですか?
 10月にクランクインで12月にクランクアップですから、3ヵ月ぐらいですね。

その間、スタッフ全員長野の方で寝泊りして撮っていったわけですよね。
 そうです。実家の近くに合宿所を設けまして、そこでみんなで生活しました。

その間の生活費とかいうのは、自分で負担するようなかんじで。
 いや、制作費というのは学校から下りるんですよ。みんなそれぞれ与えられた制作費というのがありますんで、そのなかから出しました。僕らは別にセットも俳優も使わないんで、僕らの生活費に回した、というわけです。

風景のショットを随所に挿入してますよね。あれがなかなか良かった。作品全体のなかに、拡がりのようなものをもたらせていたと思ったんですが。なんでそういうシーンを挿入したんですか?
 そうですか。ありがとうございます。作品そのものが、インドアなドキュメンタリーじゃないですか。家庭のなかの親子の語り合いがメインになっているんで、まぁ退屈しやすいだろう、と。でも長野は自然が多いから、自然のカットを一杯撮って、退屈しないように、インタビューの合間にうまく入れておこう、という考えは最初からあったんですけれど、これは監督の茂野の力ですね。想定したのは茂野なんで。

映画全体ですけれど、冒頭の彼女に殴られるシーンを除いては、被写体に近い距離で撮っていますよね。
 それはほとんど場所の状況ですよ。家が狭いとかそういう問題ですね。

僕はあれは家族という密接な関係を捉えるためにああしたのかな、なんて思ったりもしたんですが。それは全然違ったわけですね。
 まぁ、必然的にそうなっていったということですね。

僕がもう一つ面白いな、と思ったのは、車の中で家族と話すシーンですよね。
 あのシーンはですね、雪が降ってるじゃないですか。あれは初雪なんですよ。いいでしょう(笑)。

それは偶然雪が降ったわけですよね。元々シナリオとかにあったわけじゃないですよね。
 出かける時は降ってなかったですから。

あのシーンは最後に村石さんが泣きますよね。僕はあそこ泣かない方が映画として締まったかんじになったんじゃないのかな、とも思ったんですが。あの時に泣くことで、感傷的な方向に流れてしまったな、という印象もあったのですが。
 僕、今まで泣いたり笑ったりしないで、無表情な顔でしゃべる男だったんですよ。それを演出家から散々言われて、「もうちょっと反応しろよ」とか、「もうちょっと泣いたり笑ったり怒ったりしろよ」とか、言われて、そう言われても簡単に出来るもんじゃないじゃないですか。涙だって出そうと思って出せるもんじゃないでしょ?だからあの場面はやっと(涙が)出た、というかんじで。やっと自然な気持ちが出たな、と、自分で思いましたが。

3ヵ月撮影してきて、第三者の介在により、家族の関係というのも変化してきたというのはありませんか?
 変化というよりも、あれショック療法ですよね。家庭のなかにカメラが入ってくるというのは、大事件なわけですよ。カメラなんて、今ではありふれているけれど、「映画を撮るよ」って、ドンと現われて、プライベートな話を語られる、というのは、言い尽くしえない、ショックなことなんですよ。そういうわけで、うちの母親も親父もかなり神経すり減らしていたし、消耗していましたね、撮影中は。

そうした緊張感が映画のなかで反映されていたと思いますか?
 結果として、そういう緊張感があったからこそ、うまくいったというか、いい作品になったんだと思いますね。

他のスタッフからはどういう意見が出ましたか?撮影している間にも、いろいろな議論がありましたよね。そうした過程が作品そのものへ反映されていった部分というのはありますか?
 まぁ、本当にいろいろあったんですけどね。スタッフの間で毎晩毎晩やりあいまいしたよね。ただ、こういう家族もののドキュメンタリーというのは怖い賭けで、下手したら家族が崩壊しちゃうかもしれないし、そういう例も多分たくさんあると思うんですよ。そういう時に救ってくれた、というか、ぎりぎりの線で家族を守ってくれたというのが、監督2人やスタッフがやってくれたと思うんですよ。僕一人で暴走してたらどうなってたかはわからない。それを危ないところで、監督らが割り込んできて、その場をなんとか抑えてくれる、というか。

第三者である監督の存在は映画全体に客観性を与えたと思いますか?自分で撮ったら、よりパーソナルなものにはなったかもしれないけれど、他者性のようなものが欠けたかもしれないですよね。
 それはあったと思います。自分で自分のラッシュを観て判断できないですね。これを観て、どう人が感じるのか、とか、これは面白いのか面白くないのかは、やっぱり自分では判断できないですよ。

それはやはり周りのスタッフの意見でいろいろ変えていったと。
 そうですね。それがなかったら成り立たなかったと思います。

親の反応というのは、すべて映画のなかに出た通りですか?
 まぁ、映画のなかにあった通りです。ただし、しばらくしてから、また違う話も出てきますね。あの時はああいう形で反応してますけど、やはり母親としては嫌なもんじゃないでしょうかね。

映画を撮っていて、村石さん個人でなにか変化はありましたか?
 変化というのは、後になってじわじわとわかってくるんですけど、まず生活が変わりましたね。あの頃は映画の冒頭に描かれているように、本当にひどい。だらしない生活をしてましたんで、あの頃に較べると、まともに仕事をするようになったし、なによりも自信のようなものが少しはついてきましたよ。

それは映画の中で、自分自身を赤裸々にさらすことで、そうした変化が出てきた、ということでしょうか?
 そうですね。しかも、それが他の人に理解してもらったり、いろいろと言ってもらったりするのを通じてですね。

この映画を観てて、どうしても中田統一監督の「大阪ストーリー」を彷彿させるんですが。
 別に意識してないですよ。もっと意識したのは、映画学校の先輩の「家族ケチャップ」という作品なんですね。

古くさい精神分析みたいですけれど、冒頭のほうで中年の男の人たちとセックスをするシーンなどがありますが、それは村石さんの中における「父性の不在」の穴埋めとしてあるんでしょうか?
 いや別にそんな風には考えてないですけれど、僕母親に育てられたんで、女っぽいんだと思うんですよ。考えかたとか感じかたとかが。それだけのことだと思います。

じゃあ上野に行って年配の男の人に抱かれる代わりに、新宿で同年代の男の子と
セックスをする、というのじゃダメなんですか?
 どうやってやるのかわかんないんですよ。だから、僕結構女っぽいから、リードされたほうが助かるんですよ。ほら、年上のおじさんたちって、リードしてくれるじゃないですか。こっちがなんもしなくても、気持ちよくしてくれるじゃないですか。女の子を相手にしてる時って、それがあるから嫌なんですよ。こっちがいろいろおもてなししたりと、そうした段取りを男が踏まなきゃいけないじゃないですか。そういうのは苦手なんですよ。

この作品は学校の卒業制作作品として、学校でも上映されたんですか?他の学生や先生からどういう反応が出ましたか?
 映画上映が終った後、会場がシーンとしちゃって、みんな退いてるな、と思ったんですよ。それで、「なにか質問ありますか?」みたいなことも言ったんですけども、なにも答えてくれなかったんですよ。「あ、だめだ、こりゃ、大失敗だ」と思って、その後、会場を退けて、後で「よかったよ」とみなさんに言われまして。

先生とかからはどういう反応が出ましたか?
 「よかったよ」とか「いいもの観ました」「泣きました」とか言われましたね。

随分シンプルな感想ですね(笑)。なにか批判的なことは言われなかったんですか?
 批判的な感想としては、「やりかたがあざとい」とか、「インタビューの仕方が狙ってやってる」とか、あと「人間的にもう少し男になれ」とか(笑)言われましたね。

なんか時代錯誤な意見ですね(笑)。他の卒業制作作品と較べてみて、「Fatherless」はなにか異なるものを持っていた映画だったと思いますか?

 ここまで卒業制作を自分一人のために使っちゃっていいのかな、とは思いましたね。まず最初に、僕個人映画を通して、自分自身の個人的な悩みを解決していこう、というのがあったんですよ。そこから更に、いろんなお客さんたちに訴えられていく、普遍的なものにしよう、という。僕の場合、自分の個人的な悩みを解決しただけで止まっていたという気がするんですよね。そういう意味では卒業制作としては、自分のためだけにやっちゃったな、という気はしますね。まぁ、お客の反応はそうでもなかったんですけど。

この映画は家族の人たちには観せたんですか?
 観せました。スリル満点というか、ハラハラしながら観てましたね(笑)。

どういう感想を持ってましたか?

 義理の父は非常に喜んでくれたというか、認めてくれましたね。お母さんはですね、変な話なんですけど、ドキュメンタリーで女性を撮ると、まず最初に「美しく写ってないね」ということによくなるらしいいんですよ(笑)。「なんでもっと奇麗に撮らないの」というのが最初の感想でした(笑)。

実の父親には観せたんですか?

 観せてないです(笑)。観せるのが怖いですね(笑)。

観せたらどういう反応があると思いますか?
 多分ショックでしょうねぇ。

この映画を撮ることで、「家族」に対する考えとか変わりましたか?
 そうですね、一番変わったところはですね、家族ってこんなに強いもんなんだ、ということですね。もっと脆くて、簡単に壊れちゃったり、簡単に関係が切れちゃったりと希薄なものだと思ったけど、これだけぶつかっていっても、全然平気、というか、壊れないんだな、と。そういう手応えがありました。

つまり家族の関係とは意外と「強い」ものだと。

 そうですねぇ。強いというか、根が深いというか、僕みたいな馬鹿息子が一人で飛びかかっていっても、ビクともしないもんなんだ、ということは実感しましたね。

この映画のなかでは、セックスについてオープンに語ってますよね。親子の間でセックスの話題というのは、ややタブーに近いものがあると思いますが、なぜそうした事柄をぶつけてみたんですか?

 セックスに限った問題じゃなくて、それまでの育て方や家族関係に対して、母親に再考を促すための攻撃の武器だったんですよ。

つまり、それは一種の復讐みたいなものですか?

 そういう面もあります。

でも僕はこの映画を観ていた限り、そういう「復讐」という印象は受けなかったんですが。

 だから最初の段階では攻撃的なかんじで、ゲイセックスのビデオを観せちゃうとか、そういうことまで考えていたんですけれど、やっぱり撮影やってるうちに段々そういう雰囲気じゃなくなってきたんですよ。関係がだんだんよくなってきたんで、攻撃的にぶつけるんじゃなくて、静かな告白としてしゃべってみようか、とああいう形になったんだと思います。

それはやはり撮影していった過程で変化していった部分ですか?
 そうですね。変化していった部分です。

この後は自分で映画を撮る予定はありますか?
 それはもちろんあります。その前に「Fatherless」の完全版を完成させることですね。

「完全版」はどういう違いがあるんですか?
 面白いカットとか残ってましたし、新しく追加撮影もやったんですよ。さらに掘り下げた内容になったと思いますんで、80分バージョンとして一般公開する予定です。

これから映画を撮っていくとして、どういう映画を撮ってみたいですか?
 これから劇映画やりたいんですよ。ドラマが好きで映画学校入ったんで。


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